標準治療を受けられなかった男児の悲劇

ホジキンリンパ腫は、一般的には稀ながんではありますが、成人に比べて小児の発症率が高いこともあり、親としては治療法に不安を感じることがあると思います。しかし、親が選択を誤ると子供に悲劇的な結果が訪れることがあります。その中でも有名な例は、親が化学療法を拒否して代替療法を選んでしまったジョーイ・ホフバウアー君の悲劇です。

1977年、ジョーイ・ホフバウアーは首に塊ができているのに気がついた。その時、ジョーイは7歳であった。その後まもなく小児ホジキンリンパ腫(当時はホジキン病)と診断されたが、予後は良好で完全奏功の確率が95%もあった。医師は適切な治療法として、放射線療法と化学療法を推奨した。

しかし、父親のジョンが化学療法に難色を示した。ジョンの知人には、化学療法を受けたことがある人が多く、化学療法の副作用について多くを聞かされていたので、自分の息子には化学療法を受けさせないという決定を下した。そして、毒性のある化学療法や放射能療法よりもっと「自然な」治療法があるはずだと考えて、当時入院していた病院から息子を無断で連れ出してジャマイカに赴いた。

ジャマイカの医療施設では、ジョーイに対して、レートリルの投与を含む代謝療法が行われた。レートリルはアンズ種子の抽出物で、その当時はがんを「治す薬」と大々的に宣伝されていた。

ジョーイとその家族が自宅のあるニューヨーク州に戻った後、主治医が推奨する治療法をジョーイが受けていない事実が州の知るところになると、州の児童サービスがジョーイの親権を取ろうと試み、法廷闘争が勃発した。法廷で激しく争っている間でも、父親のジョンは息子のジョーイに密かにレートリルを何度か服用させていた。

裁判の結果は以外なものであった。家庭裁判所の判事は、ホフバウアー夫妻がレートリルを投与する免許を持つ医師を見つけることを条件に、レートリルの治療をジョーイに6ヶ月受けさせることに同意した。

ジョーイの両親は裁判所が提示した条件を満たす医師を見つけたのだが、この医師は腫瘍学についての知識はゼロの精神科医だった。この精神科医は、全ての責任から自分を免除するという同意書への署名をホフバウアー夫妻に求めた。この同意書には、自分はがん専門医ではなく正統的ながん治療法である化学療法・放射線療法・手術に関する直接的な経験もなく、悪性腫瘍の治療のベネフィットとリスクについてホフバウアー夫妻に助言できる立場にないという記述が含まれていた。このような制約があったのにもかかわらず、夫妻は同意書に署名をした。

この精神科医は、代謝療法の支持者であったことから、レートリルの投与に加え、生乳や半熟ゆで卵、菜食主義の食事、ビタミンAの大量摂取、コーヒー洗腸などの代替療法がジョーイに対して行われた。

6ヶ月が過ぎた時、数名の腫瘍学者が判事の前で、がんが最初に見つかった場所から体内の他の部分に広がっていることを証言した。がんが進行しているという証拠があったにもかかわらず、ジョーイに治療を行っていた精神科医は、自分の治療が成功していると満足していた。

裁判において、夫妻は複数の医師から助言を受けており、子供の体調が悪化した場合には、化学療法を受けるという意向を表明していたこともあり、判事は十分な情報を得たうえでの決定を下していると判断し、夫妻については「良く気遣っていて愛情豊かな」両親、この医師については「正式に免許を受けている」医師と論じ、両親に有利な判決を下した。

このように、裁判においてホフバウアー夫妻に対して有利な判決が下った背景として、いくつかの研究において、ジョーイが受けていた代謝療法にはホジキン病をコントロールできる可能性があり、従来の治療法ほど毒性が強くないことが証明されていたことがある。これに加え、政府による経済活動、ひいては個人の生活への介入を嫌う極右グループによる強力なサポートがあったことも大きい。当時、その中の有力な団体が「がん治療における選択の自由」を求める活動に力を入れており、特にレートリルの製造販売を合法化するよう求めていた。1976年にアラスカ州で合法化されたのを皮切りに、1979年までには21州でレートリルの製造販売が合法化された。

結局、ジョーイは1980年7月に小児ホジキンリンパ腫で死亡した。標準治療を受けていれば、避けることができた死であった。わずか10歳で亡くなったジョーイの体はリンパ腫に冒されていた。

小児ホジキンリンパ腫の代替療法としてジョーイ君に使用されたレートリルには続きがあります。

ジョーイが小児ホジキンリンパ腫で亡くなってから数ヶ月後、俳優のスティーブ・マックイーンが中皮腫と呼ばれる侵襲性の強い肺がんで亡くなった。この有名な俳優は、ロスの病院でがん治療を受けていたが、その病院での治療に限界を感じたのか、メキシコの医療施設でレートリルを用いた治療を受けていた。このように、標準治療で期待される効果が得られなかった進行期がん患者、あるいは末期がん患者の間でレートリルの人気が高まったことを受け、1981年にメイヨー・クリニックのがん専門医が多施設臨床試験を行った。進行期のがん患者178名を対象に、レートリルと高用量のビタミンが投与されたが、特筆すべきベネフィットは見られなかった。それどころか、患者の一部にはレートリルによるシアン化物中毒の症状が見られた。

最終的には、レートリルは1987年にFDA(アメリカ食品医薬品局)により販売が禁止された。 この件に関する詳しい話は、『代替医療の光と闇 -魔法を信じるかい?-』(原題:Do You Believe in Magic?)の最初に紹介されています。興味のある方は是非ご覧になってください。

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